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神戸地方裁判所 昭和35年(わ)1079号 判決 1967年7月03日

主文

被告人は無罪。

理由

一、公訴事実

本件公訴事実の要旨は「被告人は法定の除外事由がないのに昭和三五年七月三〇日頃神戸市灘区倉石通五丁目の自己の経営する麻雀荘事務室において塩酸ジアモチルモルヒネを含有する麻薬七八六グラム位を所持をしたものである。」というのである。

二、公訴事実を外形的に認定し得る証拠

よって先ず≪証拠省略≫を総合すれば、現に当裁判所において押収中の白色粉末五袋は、被告人から昭和三五年九月二〇日ハトロン紙包一個並びに同在中品白色粉末硫酸紙包大一袋約二七六グラム、小一袋約四〇グラムとして司法警察員石田清一宛、及び鈴木兼雄から同年八月二三日スーツケース一個並びに同在中品白色粉末三袋合計約五五〇グラムとして片山警部宛任意提出されて領置されたものであり、右各粉末は鑑定の結果ヘロイン及び糖より組成される麻薬であって被告人より提出にかかるもののうち麻薬の純量は大包は二四七グラム五一三七、小包は二七グラム五一五二、鈴木より提出にかかる粉末三袋のうちの麻薬は一五三グラム四八二一、一八五グラム一一二〇、一六七グラム七五八一で総計七八一グラム三八一一となること及び≪証拠省略≫を総合すれば、被告人が鈴木兼雄から同人らが昭和三五年七月一四日朝名古屋港で外国船ルイス号から密輸入陸揚げした麻薬約一キログラム位の入ったスーツケース一個の保管を依頼されて同日夕刻これを引受けて受取り、在中品が麻薬であることの情を知りながら鈴木のために同月末頃までこれを保管してやったこと、その間に鈴木が在中品の麻薬の一部を取り出して他に売却した形跡があること、同月末頃鈴木が右スーツケースを引き取った際、在中の残りの麻薬を二つに分けその一をスーツケースに収めたまま鈴木が引き取り持ち帰る途中、これを中島に預けて保管させていたが、本件が発覚したのち、中島一男の手を経て鈴木より同年八月二三日兵庫県警察本部にスーツケースもろとも任意提出されたこと、一方他の一つの麻薬は茶色の紙包にしてその後も被告人が預かったまま事務所の天井裏に隠匿しておいたところ、鈴木の自供に基づき本件が発覚し、その捜査中、同年九月二〇日被告人の自供により、被告人の事務所の天井裏において発見され、同日被告人より任意提出の形式により押収されるに至ったものであること、以上の事実を認めることができ、右各事実によれば被告人が昭和三五年七月末頃神戸市灘区倉石通五丁目四番地の自己の事務所において麻薬計七八一グラム三八一一を所持していたことを認めることができるもののようである。

三、被告人が右自白を覆えし新供述をしたこと

ところが被告人は第六九回公判において突如前記自白を飜し次いで第八二回(別件事件の証人として尋問を受けた)及び第八八回公判において「自分は鈴木兼雄とは昭和三三年に自分が起した殺人未遂事件で逮捕されその後保釈となって拘置所を出たとき迎えに出てくれた岩田組の組長土井信明から同人の舎弟ということで紹介され心安く話しをするようになった。鈴木がその頃麻薬を扱っていたことは知らないし自分は麻薬などさわったこともない。昭和三五年七月一四日頃の午後五時頃鈴木が自分のところへスーツケース一個を持って来たが、その前日の一三日頃の晩に鈴木が今度品物を持って来るから預ってくれと言いに来たような気もする。スーツケースを持って来たとき鈴木は自分に、大切な品物が入っている、男と見込んで頼むのだからこのスーツケースを責任をもって保管してくれと言うので引受けて預かり、事務所の長椅子のうしろに隠しておいた。鈴木は中味のことは何も言わず、開けたり触わったりしたら判るようにしてあるからと言い、鍵もかかっているので自分も相手が自分を信頼して預けに来たのを裏切ることもできないので、鈴木が注意するまでもなく中を開けたり、見たりしようとは思はなかった。したがって何かヤバイ物ではないかとは思ったが麻薬であるとは知らなかった。鈴木は七月末頃そのスーツケースを取りに来て持って帰ったが、その間に二回位に区切って中味を取りに来たことがある。それらの時にはいつも自分が鈴木の要請でスーツケースを出してやると鈴木は自分にちょっと遠慮してくれというので自分はその都度席を外しておりスーツケースの中味を見たことはない。そして席に帰ってくると鈴木は何かに包んだものを持っておりスーツケースは元通りにしてあり、また自分が預かり鈴木はその包みだけ持って帰っていた。そして最後に七月末頃鈴木がそのスーツケースを引取りに来たときは、別に茶色の紙包だけ残し、これを自分が預かったようなことはなく、その時預かったものは全部鈴木に返した。本件で検察官の取調を受けたとき、鈴木が七月末頃スーツケースを引取りに来て持ち帰ったとき、別に茶色の紙包に入ったものを残して、これだけ又預かったように嘘を言ったのは、当時警察で私の取調に当っていた石田警部補が、鈴木が麻薬の一部をお前のところに預けたままになっているように言っている。いつまでも否認していたら今保釈になっている殺人未遂事件の方の保釈も取消しになる、お前など大して問題にしていないから、鈴木の言っている数量と辻褄が合うよう麻薬を持っているように言ってくれ、そしてその不足分の麻薬さえ出してくれたら、検事の許可も取りつけてあるからお前を執行停止で釈放してやると言われたためである。自分はただ早く帰してもらえればそれでよいので、当時手元には何もなかったのだが、同警部補と話し合いの上で麻薬を偽造することにし、同警部補のはからいで接見禁止中にも拘らず、当時勾留中の須磨署で自分の妻や自分の番頭をしていた新井武雄に面談させてもらい、武雄や中島一男に指示して同人らの奔走により他から借金して麻薬を買集めそれを紙包にして自分の事務所の天井裏に置かせていた。そのような準備がすんで検事調に入り、かねて石田警部補等と打合せの通り検察官に対し、恰かも鈴木から麻薬を預かり、またその一部が自分の手元にあるかのように供述し、事務所の便所に通ずる通路の天井裏に隠匿してある旨申し述べて、準備した麻薬を取出してもらい、それを任意提出した。その後何の手違いによるのか、身柄釈放のないまま起訴されたが、今まで公判でも起訴事実を認めてきたのは、自分が右の真相を打ち明けて罪を免れることができたとしても、そのためにこれまで麻薬の買集め、用意などに画策協力してくれた人達が違法行為のかどで逮捕されたり追究される等の迷惑を蒙むるおそれがあったからで、このくらいの罪は自分で被るつもりであった。今になって真相をいうのは、どうやら自分は言わなくても、どこからか弁護人等の方に事の真相がわかってきたらしいからである。麻薬を買集めてくること自体が違反行為になることは承知しているが、現職の警察官自から関与してすることではあり、いずれにしても証拠品として押収される物で実害はなく、大したことではないと思い深く考えなかった。」旨供述するに至った。若しこれが真実であるとすれば当然被告人より任意提出の本件麻薬の押収過程は前掲二において認められる経過とは著しく異なるものとなり、ひいては前掲各証拠と本件公訴事実との結びつき、即ちその関連性ないし信用性は極めて疑問視されざるをえないこととなろう。

四、中島一男が被告人の右供述に符合する新供述をすること

ところで(1)当公判廷(第七五回)における証人呉命植の、「被告人が本件で勾留中の昭和三五年九月頃被告人より身柄を釈放してもらうために、入用の金だということで借金の要請があったので、その頃約三〇万円ばかりの金を用立てた。その後被告人が金を返しに来たとき、その金は証拠品を買集めるのに必要な金だったのだと聞いた。」旨、(2)、証人中島一男の当公判廷(第八四回、第八六回、第八八回)における本件押収麻薬の提出経過に関する「昭和三五年七月一四日頃鈴木に連れられて被告人の事務所にスーツケース一個を持って行き、鈴木がそれを被告人に預け、同月末頃また返してもらって持って帰った。最後にスーツケースを引取ったとき、被告人のところに鈴木が残し置いて行ったものは何もなかった。そのスーツケースには鍵をかけてその上にセロテープを貼り、中味を見られないようにしていた。スーツケースを預けて引取る迄の間に一、二回ばかり被告人の事務所にスーツケースの中味を取り出しに行ったことがある。中を開けるときはその都度被告人に席を外してもらった。被告人は中味は麻薬だとは知らなかったと思う。鈴木が逮捕されてから県警本部に呼出されたことがある。その時鈴木から、提出した麻薬の量が他に売却しているため足りなくて困っている。その数量を合せるため前に被告人に預けたことがあるので、まだ被告人に預けてあることにしようと思っていると言われた。その頃県警本部の石田警部補にも新井武雄と一緒に須磨署の二階に呼ばれ同警部補から鈴木の言うている量と品物が合わんから被告人を助けたいなら麻薬を段取りして新井武雄に渡せと言われたのでその頃同人から六〇万円位受取り麻薬を約四五〇グラム位買って来て同人に渡した。その後その麻薬がどうなったかは知らない。自分が山科の刑務所に服役中のとき麻薬取締官らが面会に来て色々と自分に聞かれたことがあり、その時何か調書を作っていたようだった。その後そのことに関して検察官の取調を受け、自分が麻薬官に言ったことは間違いだとか、自分が麻薬を都合したようなことはないとか言っているかもしれぬが、当時は真相を言えば迷惑のかかる人がいるので当りさわりのないことを言っていただけで、要するに今言っていることが本当のことである。昭和三五年八月末頃麻薬の入ったスーツケースを県警本部に提出したことがあるが、これもその日かその前日頃県警本部に鈴木から呼ばれて行き、二人だけの場所で鈴木から、実は麻薬は自分らが売却してしまって手元にないのだが、警察では一部は被告人に預け他は自分が今持っていると供述したので、それを提出しなければならなくなった。約五五〇グラム位用意してくれ、と言われたので当時自分の持っていた車などを売ってイサという男から約二〇〇グラムの麻薬を買い、それにぶどう糖を混ぜて、三宮駅に預けてあったスーツケースを鈴木からもらったか、前から自分の持っていた駅の一時預り証で受け出し、それに詰めて県警本部の鈴木のところに届けた。鈴木という男は異常な行動をする男で、自分達には同人の考えがよく理解できないところがある。昭和三五年九月二四日付の自分の検察官に対する供述調書などその当時自分の述べたことはすべていい加減なもので、鈴木からああ言えとかこう言えと言われていたので、その指示通りに述べていただけである。今回申し述べることが本当のことである。」旨、の各供述は前記被告人の供述と符号するので従来の被告人の自白並びにこれを補強する前掲各証拠の信用性はこの際厳しく検討をせざるを得ないところである。

五、鈴木兼雄の前記供述の不信用性

しかも、鈴木兼雄は後日拳銃自殺を遂げるに至るのであるが、その前に自から作成したものと前記証人中島一男の証言により認められる事件手記と題する書面中で、「自分の持帰ったスーツケースは自分の友人である被告人に預けた。自分はスーツケースには鍵をかけ封印をしておいたので、被告人は中を見ていない。自分は警察での供述調書で、その中から一個の包を出して同人に預けたということにしておいたが、申訳ないことながら実際は自分自身で売捌いたことに相違ない。被告人は義心の強い男で、困ったときには親身になって考えてくれるので、警察につかまる前に内妻田中洋子とその義兄の中島一男と共に新井に会ったときも、困ったことがあるかもしれぬがそのときは中島や洋子が行くからよろしく頼むと言っておいただけで、麻薬のことは話していない。いかに被告人と親しくともスーツケースの中味のことを言えば何百万円の品物が入っているので、同人が変な気を起すと困ると思ったから何も言わずに渡した。そのために念を入れて鍵をかけ横にセロテープを貼って封印していたので間違いない。しかし警察に逮捕されて全貌が完全にわかっており、自分が売捌いた麻薬について数量が合わなくなり、自分は被告人に包一個を手渡したと言った。警察の人が被告人に預けた品物を取りに行くと言うのであわてて品物は自分が出すから洋子や中島を呼んでくれと言って、立会の警察官に表に出てもらい、二人きりになった調べ室ですぐ被告人のところへ行って品物を買って出すように話して来いと指示した。結局そのような訳で、被告人は預かったおぼえもないのに、このようなことを中島が連絡に行ったので、その時前に預けたスーツケースの中に麻薬が入っていたことを初めて知り、びっくりしたことと思う。結局スーツケースは預けたことは事実であり、その侭の状態で自分が受取ったことも事実に相違なく、自分は自分の罪が軽くなるために被告人に計算の合わない数量を預けたことにしてしまった。これは被告人は少々お金は持っており、又義心に強いのできっと自分の使いとして中島が行けば、その金を貸してくれて不足分の麻薬をどこかに置いてくれると思い、申訳ないことと思いながらそのようなことをした。」旨記載して居り、この部分は措信するに足ると認められるから、右鈴木兼雄の前掲検察官に対する供述調書中これと牴触する部分は証拠として採り得ざるところである。

六、本件証拠物の不信用性

加えて、本件公訴事実にいわゆる被告人の麻薬所持量が被告人及び鈴木兼雄より提出された本件押収麻薬を合算して算出されたことは証人根ヶ山博、同当別当季正の当公判廷(第七七回)における各供述によっても明らかなところ、右合算の根拠は両者の麻薬がもともと一個のスーツケースに収納されて被告人の事務所に保管されていたとされるに由来すること、さらに源をたどれば右麻薬は昭和三五年七月一四日ルイス号より鈴木らの手によって密輸入され当日直ちにその一部を右スーツケースに収納して被告人の許に持参され同月末頃まで在中品の一部を取り出して他に売却したものを除きそのままの状態で被告人の事務所に保管されていたこと即ち出所根源が同一且つ単一であるという事実を前提とするものであること、これらのことよりすれば被告人より提出された麻薬と鈴木より提出された麻薬とはいずれも品質、成分等において同一のものであるべきが当然と考えられるにも拘らず、鑑定人狐塚寛外一名作成の昭和三八年三月五日付鑑定書の記載によれば両者はいずれもぶどう糖を主成分とする塩酸ジアセチルモルヒネを含有する麻薬であるが被告人より提出されたそれは塩酸ジアセチルモルヒネの含有率二九パーセントであるのに鈴木より提出されたそれは同一九パーセントであるほか被告人より提出されたものには鈴木より提出されたものには含まれていない微量の混合物を含んでいる等その成分に著しい相違のあることが認められるから、本件証拠物たる麻薬はその出所根源が同一であるとは到底考えられない。

七、結論

以上の諸事実に証人当別当季正の当公判廷(第七七回)における「前に警察に二回も被告人の事務所を捜索させたのに麻薬はでてこなかった」旨の供述をも併せ考えれば中島一男が当公判廷において本件犯罪の捜査が開始せられた後鈴木兼雄や石田警部補から依頼せられ証拠物たる麻薬を偽造した旨の前示供述はにわかに排斥し難く、これと相反する趣旨の同人の前掲検察官に対する供述調書は信用できず、従って被告人の前記検察官に対する供述調書における本件公訴事実に沿う自白は、身柄釈放を餌とする警察官の利益誘導行為に基ずき作為された証拠物を基礎として供述したものとの疑が濃厚であり、その信用性に乏しいと断定せざるを得ない。

してみると本件公訴事実は結局犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法第三三六条後段に則り被告人に対し無罪の言渡をなすべきものである。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石丸弘衛 裁判官 上本公康 裁判官原田直郎は転勤につき署名押印することができない。裁判長裁判官 石丸弘衛)

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